「のりお」と最初に出会ったのは、興味本位に友達と入ったオカマバーでの事で、彼は従業員の一人だった。それからしばらく経った後に、馴染みのバーで偶然ばったりと再会したのが、僕達が仲良くなったそもそもの契機だった。
 その最初のオカマバーで、僕は隣に座っていた男性客に絡まれて揉め事を起こしていて、「のりお」はその事を申し訳ないと謝ってきて、一緒に飲んだ末に意気投合して、その日は結局バーのマスターと一緒に三人で、近くのフィリピンパブで朝まで飲み明かしたのだった。


 「のりお」は「きょうこ」だった。
 僕はずっと彼を「きょうこさん」と呼び、人前では「このオカマ」と罵った。
 「きょうこ」が「のりお」である事を知ったのは、知り合ってから大分後、彼の部屋でパスポートを見せてもらった時の事だった。


 「のりお」は男言葉を使う。
 若干甲高いが、落ち着いていて渋みのある、男性的な声だった。
 自分の事を「俺」と呼んだ。
 背が高く、色白で、華奢で、整った顔はしているが、女性と呼ぶには大分無理がある顔つき、けれどどこか清潔感が全身から漂っていて、一緒にいて不快を感じたことは一度もなかった。
 スカートに頼らない女装がポリシーで、酔うと僕の肩をグーで強く殴りつける。
 女性と話すのが大好きで、しょっちゅう安いキャバクラに出入りしていた。
 僕は彼をオカマというよりは、女装癖のある男性であるという風に認識していた。


 僕達は、とても馬が合った。
 家が近い事も手伝って、「のりお」が空いている夜は、なるべく二人が行った事のない場所、入った事のない店に入る。
 その店を出る頃には、大抵見知らぬ男女と仲良くなっていて、そいつらの金で朝まで飲み明かす。
 金が無い時は、僕の家か、「のりお」の家に行く。
 男性が多い場合は僕の家、女性が多い場合は「のりお」の家、というのが相場だった。
 僕達は、人を楽しませる天才だった。


 「のりお」は不思議な魅力のある人間だった。
 「のりお」はどんな場所でも、その場で一番洒脱で粋な、つまり空気が読めて、周りを引きつけて、そこそこ金を持っていて、適度に羽目を外せる人間を見つけだして、すんなりとそいつの懐に潜り込む事が出来た。
 僕も「のりお」もそれなりに複雑な人生を越してきていたので、他人が面白いと感じるであろう話を、いくらでも語る事が出来た。


 「のりお」は、他人の性については饒舌に語ったけれども、自分の性についてはほとんど喋ろうとしなかった。
自らの性の対象について聞かれると、男でも女でもいける、とそれしか言わなかった。
 彼は自分の性が男にも向いているという事をその外見でアピールしながらも、男性に対して恐怖や嫌悪を抱かせるような仕草や様子を絶対に見せなかった。
 少なくとも僕には、そのように気を使っている風に感じられた。
 だからこそ老若男女問わず、様々な人間から、すぐに好かれたのだろうと思っている。
 僕達は毎週のように、見知らぬ人間と出会い、仲良くなり奢ってもらうという、その遊びの繰り返しに熱中した。


 「のりお」から、タイで性転換手術を受けようと思う、という話を聞かされたのは、出会って半年ぐらい経ってからだった。
 僕は彼が女性になりたいという欲望をしっかり持っていた、と言う事に戸惑いを隠せなかった。
 今年中にタイに行く、そしたら俺は全く違う人間になる、だから過去の人間関係は全部清算する、お前とももうすぐお別れになる、そのような事を淡々と、何でもないというような口調でさらりと言ってのけた。
 そうなんだ、と僕は答えた。
 その後に何か言わなければ、と思ったけど、何も出てこず、僕はただ、うーーーーんと長く唸るだけだった。
 まぁ、もうちょい先だから、それまではちょくちょく飲もうぜ、「のりお」はそう言って、いつものように僕の肩を強く殴った。


 僕と「のりお」は、その後も以前と変わらぬペースで遊び続けた。


 夏が終わろうとしていて、「のりお」が旅立つまで、あと二カ月になろうとしていた。
 ある夜僕達は、珍しく二人きりで、朝まで飲み続けた。
 僕は虫歯を患っており、飲んでいる最中に歯の根元がぷくりと腫れてきて激痛を発するようになってしまい、「のりお」の家に行って鎮痛剤を分けてもらう事になった。
 薬を飲んでソファに少し横になる、爪楊枝で歯茎をいじっていると、腫れた箇所が潰れて膿が大量に溢れてきた、何度も口をゆすいでいる間に嘘のように痛みが引いたので、飲み直す事にした。
 手術終わったら日本戻ってくるんでしょ?そしたらまた飲もうよ、と僕が床に寝転びながら言うと、彼は急にしかめ面になって、お前さ、仕事楽しいでしょ、と突然言い出した。


 お前は、仕事あって、趣味もあって、友達もいるでしょ?そういうのって普通だよな、でも俺はさ、なんていうかどれだけ働いてても無職なんだよ、オカマってのは別に仕事でもなんでもないよな、オカマでも他にまともな仕事持ってる奴なんていくらでもいる、でも俺は学も無いし、趣味も無いし、何にもない、ただオカマなだけだろ、別にそれに対して何か思う所がある訳でもないんだけどさ、俺もうすぐ三十になるんだよ、だから何だってずっと思ってたけどさ、俺は自分がオカマなのか何なのかよく分かんないんだよ、何となく流れでオカマはじめたけどさ、ずっと違和感あるのさ、自分がオカマって事に、だからといって男でもないし、女でもないし、多分考えるのが面倒くさくて放置してたんだよ、そういう事を、そしたらさ、三十前にしてそういう事に何だかケリをつけたくなってきて、じゃぁちゃんと生きて行こうって自分で決めようとするとさ、いつの間にか俺は女になるってことしか選択肢がなくなってたんだ、分かんないだろ何言ってんのか、まぁ俺も分かんないんだけどさ、とにかく俺は色々ケリをつけに行くんだよ、したらさ、昔の事とか凄い邪魔なんだよ、邪魔っていうか、すごくつらいんだ、負担になるんだ、だからやっぱりさ、お前と会うのもうやめるわ、そういって「のりお」は缶ビールを飲みほして、悪いな、と呟いた。


 僕は、そっか、うん、よく分からん、と口にするのが精一杯だった。
 「のりお」と過ごしてきて、はじめて「気まずい」という空気を、僕は感じていた。
 長い静寂があった。
 なぁ、女になるってさ、実は全然わからないんだ、何も実感わかないんだけどさ、
 それでも俺は女にならないといけないんだけどさ、そう決めたからさ、
 「のりお」の長く赤い爪が、いらだたしげにテーブルを叩いている、
 最後だから、あえて聞くけど、ねぇ、「私」と、セックスできる?


 彼に性器を咥えられた、五分だったか十分だったか、もっと長い間だったのか、彼は拙く、僕の性器は柔らかいままだった、包茎気味の皮に腹部の陰毛が絡まって隆起を阻害しており、その絡まりを彼が口で解そうとする様に明確な嫌悪を抱いた、僕は微動だに出来なかった、彼は僕の性器以外の、どこにも触れようとしなかった、二人の呼吸音が、腹立たしい程に、重苦しかった、僕はただひたすらに、嫌悪していた、言葉のないまま、彼は突然立ち上がり部屋を出て行った、トイレに入った、長い間出てこなかった、延々と水を流す音が聞こえてきていた、僕は彼の唾液にまみれた性器を拭おうともせず下着をずり上げ、彼の部屋から無言で立ち去った。


 それから「のりお」とは、一切の連絡を取っていない。
 彼が自分の事を、「私」と言った事がひどく印象的で、その事が頭から離れない。
 その夜を切っ掛けに、僕は完全なインポテンツになった。


 最近になってやっと他人に、オカマにしゃぶられてインポになった、という話をする事ができるようになった。
 これは笑い話であって、面白くてひどい経験をしたという、それだけの話だという風に、自分の中で片をつけようとしている。


 けれども僕は、頭の片隅で、そういう事じゃない、とずっと思い続けている。
 そうじゃないんだ、という事を他人にうまく伝えられない事に、苛立ちを感じてしまっている。
 彼を典型的なオカマという陳腐なカテゴリに当てはめて、笑い飛ばそうとする自分に、明確な恥と、罪を感じてしまう。
 彼は多分、僕にとって、掛け替えのない、友人だった。
 彼が最後に言った、「私」とセックスできるかという、あの問いは、言葉通りに捉えてはいけない類の物だったのではないだろうか。
 彼は問いを間違い、僕は答えを間違った。
 彼は、言葉を知らなかった。
 僕は、誠実ではなかった。
 彼は、何かとても重要な事を、僕に言いたかったはずだ。
 それはもしかすると、僕にしか話すことのできない、彼のとても大事にしている、「何か」であったのかも知れない。
 僕は、その彼の「何か」に真剣に向き合って、言葉を尽くして答えるべきだった。
 僕達がすべきだったのは、ただ言葉を尽くす事、それだけの筈だった。
 そう考えてしまうのは、僕の都合の良い、ただの幻想に過ぎないのだろうか。


 友よ、赦せ、僕は間違った。
 ただひたすらに、間違ってしまった。
 何を間違ったのか、確信も持てぬまま、
 ただ毎日、そのように思って、悔いている。