聖路加に入院した知人を見舞った帰りに、清澄白河まで足を延ばす。
 庭園横の公園で湿ったベンチに座ると、一気に気力が抜け、だらしなく手摺を枕に横になった。
 時刻は18:30、もうすっかりと夏の気配を纏いはじめた空気が、陽が落ちていく事を証明しようとするかのように、妙に火照った身体に僅かな冷気をぶつけてくる。


 三十歳を超えた辺りから、死に触れる事が多くなった。
 死の匂い、というものがこの世には間違いなくあって、そうした匂いに触れると、僕は途端に人間性を失う。
 思考を怠り、感情を喪い、木偶人形のように虚ろに、ただひたすらに、あぁ面倒くさいなぁと、そう思い続ける。


 例えば、会った事も無い、文化人の死を嘆く人間が、理解出来ない。
 理解出来なくて、恐ろしい。
 人が一生の内に出会う死は、どれ程あるのだろう。
 何かの死に出会う度に、彼等はいつも、あのように心を動かすのだろうか。
 そのエネルギー量を想像すると、僕は恐ろしくて堪らなくなる。
 そのような熱量を消費しながら、彼等は何故日常生活を送れるのだろう。


 人の死が、面倒臭い。
 周りが悲しんでいる様に自分を併せるという作業に、膨大な労力を費やさなければいけない事が、辛くて堪らない。
 悲しみを一切感じられない事を、悟られないよう振る舞う事が、余りにも難しく、この世の多くの人間が意識的にしろ無意識的にしろ、悲しみの儀式を粛々と遂行出来ている事が、僕には信じ難く、何か決定的な自己の欠陥に気付かずに、愚かで虚ろで、破綻した人生を歩んでいる心持ちになる。


 死や喪失を、全く悲しめない。
 悲しい、だとかいう前に、何かの相関関係が、急に劇的に変わってしまう事が、とりあえず億劫で堪らない。
 それは恩師であろうが、昔の恋人であろうが、飼い犬であろうが、例え肉親の死であっても、変わらない。


------


 下関に住む母方の祖母が死んだのは、僕が十九歳の時で、買い物の途中に、車に轢かれたのが原因だった。
 祖母が死んだ日、上京したばかりだった僕は、京都の実家に急遽呼び戻され、急いで浴場を借り、黒髪に染髪してから、家族全員で深夜、車で下関に向かった。
 車中で母が、電話受け取る前に私分かってたんよ、これが虫の報せなんやわ、とずっと同じ事を繰り返し喋り続けた。


 明け方、下関の家に着き、居間横の座敷に寝かされた祖母の遺体と対面した。
 母と妹が、遺体を見るなり、まるで漫画のような大粒の涙をぼろぼろと零す、その涙粒の大きさの、余りの非現実的さ加減が恐ろしく、立ち尽くしたまま、次にどう行動してよいか全く分からなくなり、ただ注意深く物音を立てないよう、気付かれないようゆっくり浅く息を吐き続ける、先に到着していた叔母が、事故の模様を延々と喋っている、轢いたのは祖母と同世代の老婆で、見晴らしのよい交差点での信号無視、即死、頭を強く打って内出血、遺体はね、すごく綺麗なのよ、腸がね、少しだけ下からはみ出ていたけど、綿を詰めてもらっているの、布団をめくると、全裸の祖母が現れた、所々にヨードが塗られて変色したような後がある、たっぷりと肥えており、あるかどうか分からない程の小さな乳房、脂肪のせいか、肌に老婆とは思えない張りがある、これが祖母だったのか、何度も会い、声を交わし、ひどく懐いていた筈だったが、そこに在るのは、まるでキューピー人形にも似た、滑稽さすら感じられる、遺体と呼ばれる肉塊だった。


 続々と親族が集まり始め、慌ただしく葬儀の準備が行われる中、僕は完全に思考停止していた。
 父から言われるがまま、偶に何やら身体を動かしていたのだと思うが、全く記憶に無い。
 途中、祖母を轢いた老婆の家族が謝罪に訪れ、叔母が玄関口でヒステリックに、お引き取り下さい、と声を荒げる場面があった。
 娘だろうか、その中に居た中年女性のオドオドとした振る舞いを見て、僕はどうしても近しい感覚を抱かずにはいられなかった。
 この居心地の悪い、何をしていいか分からない、悠久のように終わりの見えない時間が、いつ終わるのだろうかと、ずっと考えていた。
 兎に角、一刻も早く、一人になりたかった。


 
------


 通夜を終え、慌ただしい空気が少し落ち着き、居間に集まった親族達が談笑を始めた頃、母が突然僕の肩を掴み、あんたどうしたんその顔色、と大声を上げた。
 喪服の母は、普段よりもきりりと引き締まった居振舞いに見え、僕は生まれてはじめて、あぁ素敵な人だなぁ、という感慨を、母に抱いた。
 あんたちょっとその顔色はおかしいわ、大丈夫やから、二階で寝てなさい、そう言って皿に盛った握り飯と漬物、ペットボトルのお茶を二本、僕に渡してくれた。


 誰もいない二階の書斎で、布団に横になりながら、持ってきた文庫本に目を通してみたが、やはり頭には入らない、食欲も無く、握り飯を一嚙りしただけで吐き気がした、カバンを漁ってみると、友達に土産でもらったガラナ葉巻が缶で出てきた。
 葉巻は濃い酸味に、気味の悪い甘みが付いたひどい味だったが、僕は意識を失ってしまいたくて、吹かすのでは無く、煙草のように煙をたっぷりと肺に入れ続けた。
 窓から見える夜の下関の街並みは、幼い頃、長く過ごした事もあり、親しみを感じられる物で、夜景に融ける紫煙が、幾分僕を落ち着かせた。
 トイレに行く為に階段を降りると、父が洗面所に居た。
 なんやお前その顔色、飯ちゃんと食ったか、僕が、葉巻を吸ってたら余計に気分が悪くなってきた、と伝えると、顔を近づけて匂いを嗅ぎ、なんやこれ、滅茶苦茶臭いぞ、と言って頭を叩かれる。
 わし、ちょっとおでん食いたくなってきたから、コンビニ行かへんか?


 コンビニまでは徒歩十五分くらいだった、おでんと肉まんと雪印コーヒーを二人分、ついでにパーラメントも買ってもらい、コンビニの駐車場に座り込み、二人で食べた。
 知らん人ばっかやろ、わしもう疲れたわ、お前もあんま無理せんで、疲れたら二階に逃げとった方がええで、あの人らは久々にみんなで集まって話す事一杯あるんやから、わしらみたいな部外者は適度におらん方が向こうも気楽やしな。
 父の言葉がとても嬉しく、同時にもしかしてこの人も、僕と同じような心持ちなんだろうかと思い、聞いてみたくなったが、黙っておいた。


 食べ終わって、煙草を吸っていると、父が一本寄越せと言う。
 あんた吸わへんのちゃうの?と聞くと、元々吸っとったけど、お前産まれるから止めたんやぞ、と言ってまた頭を叩かれた。


------


 その夜、騒がしい階下の音を子守唄に、二階で浅い眠りに就いた僕は、何年か振りに夢を見た。


 人気の全く無い、夜の山中に流れる小さな川、蛍か何かだろうか、薄い光がぽつりぽつりと水面を鈍く照らす中、藍の襦袢に身を包んだ母が、腰までを水に浸している。


 妖しく、虚ろで、世の物ならざる趣の母が、白装束に身を包んだ死体を、水に流そうとしている。


 誰の死体か、祖母か、父か、それとも僕だろうか。


 川の流れは緩慢で、死体は少し流れる度に、川底から突き出た何かに引っかかり、母はその絡まりを丹念に解し、たっぷりと時間をかけて、もどかしくも丁寧に、下流へとそれを運ぼうとしている。


 縺れ合う母と死体、やがて彼らを中心にして、濃厚な紅が水面に拡がりだした。
 誰の血か、紅は川一面に拡がり、やがて母も死体すらも飲み込み、僕の視覚の余白にまで侵食して来る。


 一面の紅い視界に包まれ、僕は、これが自分なりの葬儀なのだと、意味の分からない事を、強く確信していた。