目黒駅前商店街にある玩具屋の二階、八畳もないそのスペースに我々が引っ越してきたのは三月半ばの事で、いつものようにウエPが買ってきた陳麻家の弁当を男三人でかきこんでいる。


 何だか新丸子に居た頃に戻ったみたいだよね、大学生みたいでこういうのいいよね、と十歳以上年の離れたウエPが言うのを聞いて、僕は絶望のあまり目の前がくらくらした。


 恵比寿のあの三十畳近くのリビングがあったメゾネットタイプ完全防音の作業場の感覚がまだ抜けきっておらず、誰も口には出さなかったが、全員がかなりナーバスになっていた。
 なにより、部屋が一つしかなく、社長の寝床が作業場にあるせいか、饐えた匂いがいつも立ち込めており、築ン十年のボロボロのモルタル塗りの建物の様相と相まって、それが我々の憂鬱をいっそう高めていく。


 取引先のあの営業の女、僕達はその女が社長と性関係を持っていると睨んでいたが、彼女もめっきり顔を出さなくなり、代わりに社長の昔の音楽仲間だという、赤ら顔のミッキーマウスのGジャンを着たプロレスラーの様な風体の男が出入りするようになった。
 何のために顔を出しているのか分からないが、週に二日ほど昼食後あたりに顔を出し、軽く僕らと雑談した後、社長をどこかに連れて行く。


 ウエPと二人きりになると、僕は午前中に耳コピ作成したMIDIをろくにデュレーション重複チェックもしないまま、各携帯キャリアのそれぞれFM音源用とPCM音源用のベースデータに調整する作業に取り掛かり、それから各主要機種へのコンバートを普段の三分の一程の時間で終わらせて、Logicerのコミュニティで新着フリーVSTプラグインの情報を漁った後、探偵ファイルを開いてえりすの乳の谷間を視姦しながらウエPとダベるのが常になっていた。


 大体そういう時間には、薄いカーテン越しに夕日の暖色が透けており、僕の脳裏には「斜陽」という言葉が、何度も何度も繰り返しよぎる。


 仕事も公式配信の着メロの仕事しかなくなっており、それすらも大幅に数が減っていた。
 毎月受注が確定しているのはドリ○○とGaxxxと変なフォークユニットの片割れとみうらじゅんのみという有様である。
 Digi002やAvalonコンプやMackie卓がつまった12Uラックだけでなく、ベース一本だけを残して楽器類もすっかり姿を消していた。
 僕が仕事場に置いていた、作業用のLogic環境やギターやNord76鍵やアンプエフェクター類に至るまで全てスペースの都合上持って帰らざるを得なかった為、自分の部屋が急に狭くなった上に、作業場に残されたのはPerformerが入ったボロのクラムシェル型MacBookEdirolの安いMIDI鍵だけ、僕は事あるごとに、これだったら家で仕事したほうがマシなんだけど出社する意味あんの?と社長に嫌味を言うようになった。
 社長も何だか老けて小さくなったように感じて、みすぼらしく見える。
 ウエPだけが空気を読んでか、前向きに振る舞おうと努めているようだったが、三十後半になっていまだバイトを掛け持ちしながらバンドのボーカルを続け、楽器も弾けず曲も作れず社長のお情けで事務バイトとして雇われているこの男を、僕は心底馬鹿にしていた。


 何より耐えられないのが、収入が激減したせいで、通勤や移動にタクシーを使えない事だった。
 山手線に乗る度に乗客全員を皆殺しにしてやりたい気持ちになる。
 一度通勤途中に池袋で昔のバンドメンバーと鉢合わせした事があって、そいつは僕が昔居たインディーズAVメーカーでまだ営業バイトをしながら下らないバンドを続けており、飯でも食いに行こうとなった時に松屋行こうぜと言われて、恵比寿のオイスターバーの常連を気取っていた僕はそのチョイスに絶望して、そいつの脇腹に持っていたペットボトルを何度も何度もねじり込んで無言でその場を立ち去った事があった。


 何もかもが憂鬱だった。
 そして何より、僕と言う人間が、「凋落」という現実を目の前にして、特に改善の為の努力をしようともせず、ただただ理不尽だとぼやいているだけで、現実を受け入れようともしない愚かな人種であったと言う事に、死ぬほど嫌気がさしていた。


------


 ダメだ、ジョブチェンジする、とs村が言いだした時、だから僕は珍しく彼の話をちゃんと聞く事にした。


 s村は大体一年毎に現職に絶望して、逃げるように全く毛色違いの畑に転職する性癖のある人間で、今回は不動産屋からの転職だった。


 一体s村には何が向いているのか、お気に入りの焼鳥屋で泥酔しながら議論しているうちに、僕の仕事の話になる、もしかしたら、俺も辞めたいかも、と僕は切りだした、僕が社長の元を離れて音楽で食っていく道は三つあった、一つは社長の元バンドメンバーのギタリストが立ちあげた会社に合流する事、もう一つは知り合いの大手所属のミキシングエンジニアの下で見習いアシスタントとして働く事、最後はもう一度バンドをはじめる事。
 どれもが有り得なかった、何が有り得ないのかよく分からないが、どの選択肢もひどく気が滅入るものである事は間違いなかった。


 s村に何でよ、何がイヤなんよ、としつこく尋ねられるうちに、ポロリと、だって音楽やってるやつみんなバカなんだもん、と言葉がこぼれ出た。
 んあああああぁ、と僕は思わず奇声を上げる。
 そうだ、分かった、僕は音楽やってる奴らが大嫌いなのだ、何で気付かなかったんだろう、低学歴でピーナッツ脳で底辺の癖にプライドだけ高くていい年こいて気が滅入った時はクラブで朝まで踊れば大抵の事は解決するんだとか陳腐で恥ずかしくて頭の悪い台詞を平然とした顔でほざく老害がのさばって鎮座している個人主義の癖に妙に横の繋がりに依存したどこを切っても金太郎飴みたいに同じ様相のこの狭い狭い傷の舐め合いしかできない底辺業界の底辺に属しているのが嫌で嫌でたまらないのだ、僕はs村に堰を切ったかのように不満の言葉を投げ続ける、一転相談する側から相談される側に回ったs村はやがてうんざりした顔で、よし分かった、いやほとんど聞いてないけど分かったから、といって鳥皮の串を僕に投げつけ、今お前いくら持ってる?と尋ねてきた。


 二人でコンビニのATMで残高を見ながら検討した結果、僕は三十万、s村は五十万までなら使えるという結論になった。
 気晴らしにとにかく金を使う、という目的だったが、風俗やキャバクラとかに使う、と言うのは今日は違う気がした、旅行じゃねえか、というs村の案が一番しっくり来る気がしたが、果たしてどこへ行ったらいいのか分からない、時刻は23:00を超えようとしていた、とりあえず都内からは出ようという事で、東京駅へ向かって電光掲示板を見ていると、小田原行という列車を発見した、おい箱根だ、箱根いけるんじゃねえか、s村が言う、それは何だか途轍もなく、甘美で淫蕩な響きに聞きとれたのだ。


 東京発小田原行の列車は終電が24:00近くまであった。
 小田原に着くのは01:30頃である。
 プラス千円程でグリーン車に乗る事が出来た。
 誰も居なくて、快適だった。
 僕らのテンションは最高潮だった。
 ビールを買い込み、これ最高のプランじゃね?とはしゃぎながら、着いた後の計画を練る、二人の口から出てきた主要キーワードは主に「温泉」「貸切」「コンパニオン」の三つだった。
 全てが良い方向に収束しているように思えた、僕の脳内は混浴女体のぷるぷる泡踊りで大フィーバーする、妄想の中僕はぬるぬるぽんぬるぬるぽんうあぁぁぁあぁぁあぁああぁああぁぁぁと叫びながら未知の快楽に悶絶していた。
 我々は無敵であった。


------


 小田原で一泊し、早朝箱根に向かった、宿はどこもいっぱいで、かろうじて取れた宿は箱根湯本と塔ノ沢の中間辺りの、周りに何も無い急坂の途中にある小さい民宿のような所だった。
 僕達は疲れ果て、小さな温泉に浸かった後、部屋でビールをあおって食事もせずにそのまま眠った。


 重要な事を忘れていたが、僕もs村も基本的に引きこもりで、コミュ障で、計画性が欠如しており、極度の面倒臭がりであった。


 その宿を一泊で追い出され、次の日僕達は早々に箱根滞在をあきらめて、熱海に向かった。
 熱海はひどく寂れた街だった。
 大阪の新世界近辺を思い起こさせた。
 二人で変な喫茶店みたいなところで生シラス丼を食った。
 可もなく不可もなくって感じでした。
 ホテルはどこもガラ空きだった。
 とりあえず足が疲れた所にあった、中途半端な昭和臭のするホテルを取った。
 東横インのほうがマシじゃねえかって感じだった。
 眼前にある別のホテルは、館の半分が何故か崩れ落ちていた。
 バイオハザードの舞台みたいだなーと思いながら、僕らはあうあーと涎を垂らしながらそれを眺めた。


 歓楽街ぽい所があるらしいので夜に足を向けてみたが、呼び込みすら居らず、店の前でパイプ椅子に座りこんだババァが直接声をかけてくる始末だった。
 下を向き、黙って通り過ぎた。
 人っ子一人いない海岸沿いまで出て、コンビニで買ったビールを飲みながら、一言も喋らずに二人で海を眺めた。
 よく考えてみれば、お前なんかと旅行来たってどうせこうなるって分かってたのにな、何でいっつも同じ間違いを犯すんだろうな、s村のボヤきに僕は涎を垂らしながら、あうあーと答えた。


 僕もs村も完全に脳が溶けはじめていた。
 溶けはじめたと言うか、よく考えればそもそも最初から溶けている類の人間であった。
 あまりにも脳が溶けすぎて日本語を喋る事が出来なくなっていた、二人とも口を開けばあうあーという変な擬音しか出なくなっていた。


 仕事をしたり悩んだりして、社会人もどきの振りをしていたせいですっかり忘れていたが、そういえば元来僕らはこういう感じなのだ。


 それから一週間ほど熱海に滞在した。
 食事に出る以外はずっと部屋で有料チャンネルを見ていた。
 会話はなく、ずっと二人であうあーと言いながら、アンアンアンアン喚くブラウン管を肴に、缶ビールとポッキーとさきいかと貝ひもと塩ピーナッツを消費し続けた。
 十二時間毎に流れるある企画単体AVの中で男優が「乳首殺し!!キュ~!!」とか言ってたのがツボに入って、そのネタで二日ぐらい笑った。
 僕達があうあー以外の貴重なボキャブラリーを獲得した、奇跡の瞬間だった。
 驚いた事に、そんな生活でも金は全部使い切っていた。
 何に使ったのかは全く分からなかった。


 こうして八十万円をドブに捨て去る事によって、我々は確固たる自己を取り戻す事に、無事成功したのである。


------


 戻ってきてからすぐにs村は不動産屋を辞め、何故かパチンコ屋で働きはじめた。
 ケバくて巨乳の同僚の彼女が出来て、その子が重度のバイブコレクターを公言しているような子で、ブログのネタの為にセックスよりバイブオナニーのお手伝いばかりさせられるのが不満だとこぼすようになった。
 僕としては割と羨ましい類の話だった。


 僕は社長に無断で仕事を休んでいたが、しばらくしてから連絡を取ろうとしても何故か繋がらず、ある夜ウエPから突然電話がかかってきて、あいつ夜逃げしたよ、と教えられた。
 僕はとりあえず、あうあーと答えておいた。


 s村のパチ屋も所詮は一時しのぎの単なるバイトだったので、二人で何か事業でもやろうかという話になった。
 ちょうどネットで見かけたオリエント工業のダッチワイフを使ったデリヘルが流行っているという話を思い出し、実際この案はそこそこ現実味を帯びかけたが、どっちが使用後のドールを洗浄するかという話になった際に大喧嘩になり、白紙に戻った。


 暇を持て余した僕は、ブックオフでプレステとバイオハザード3を買った。
 一ヶ月くらいずっとあうあーと一人ごちながら、タイラントとぐるぐる鬼ごっこをして楽しんだ。


「白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり」

 そのようにほざいて薄れゆく頃には、きっとそういう思い出ばかりが、朝露のように点々と脳裏に張り付く事なのであろうか。